機長の仕事ぶりを見たかったから「そ、そ、操縦って、あの:::」「ホイ、代わってやれ」気軽に右席のコパイロット(副操縦士〉を立たせる。「飛行機の操縦なんて簡単だよ。君だってできるんだ」できるという言葉につられて、おそるおそるすわりこむ。「まず肩の力を抜いて。そして舵を軽く両手で持つ。ちょっと引っ張ってみてごらん。そうすると、ホラ上昇するだろう。前の計器盤を見て。線が真ん中より上に上がったのが分かるかな。その線が真ん中の線と一致するように舵を動かすんだよ。そうすると飛行機は水平になる」言われたとおり動かすと、飛行機は上がったり下がったり傾いたり。だんだん熱中してくる。おもしろいおもしろい。私が旅客機を操縦してるんだ。なーんだ簡単じゃないか。「ぉ、うまいうまい。君はなかなか才能があるよ」キャプテンも誉めてくれてるではないか。すっかり楽しくなった私は、後ろに六人の命があることも忘れて、まるで青い空を一人で散歩しているような気分になった。つなしずワーデスに操縦をさせるとは、なんと大胆なことをするのだろう。もちろん、もうひとつの舵は機長が握っているからまったく心配はないというものの、スチュワーデスなんかに舵を握らせたことが分かっただけで、相当な処分があるんじゃないだろうか。おうようあき私は機長の鷹揚な態度に、呆れたり感心したりしていた。ところが、こんなことはその時だけではなかった。その後も何度か機長たちは右席へすわらせてくれたのである。さらに、同期の友だちに聞くと、みんな同じ経験をしたという。しかも、出会い系 アプリ で出会った機長の中には、のんびり松島まつしま上空の遊覧飛行をやってのけ、レーダーに写った怪しい機影に緊張した自衛隊がスクランブルをかけそうになった、というエピソードの持ち主までいるというのだ。搭乗前の整備点検では、徹底的に機体をチェックし、一パーセント安全であるという確信ねずみを得なければ出発しないような男が、飛行中のどんな小さな異常にでも鼠のように敏感な男が、天候に対して絶えず細心の注意を払っている男が、のんびり遊覧飛行をやってのけたりするのである。大胆さと細心、相反するこつのものを持っていたのが、その頃の機長たちであった。引力に逆らって飛び回るという、どう考えても理屈に合わないような代物しろものとつきあうには、ーマうこういう職場で鍛えられると、最初は、いかにも大学出たてというようなのんびり顔の男でした。

行きも帰りもオン・スケジュールでスムース・フライト、眼下に黒々と房総半島が見えだし、前方にはダイナミックで華やかな光の海が広がっていた。冬の東京の夜は強い風が汚れた空気をささ吹き払い、街の灯が冴え冴えと見渡せるのだ。「木村さん、そろそろ着陸ね。スイッチ切りましょうか」左腕の時計を見ながら、私は彼女に言った。ネオンの点くころに羽田に入る便では、スチュワーデスが気を利かせて客室内のライトを消し、暗くなった機内から下の夜景をたっぷり見せるというのが、いつの間にかサービスとして行なわれるようになっていた。,・4’木村良子が領いて乗務員席を立った時、操縦室からのコルボタンが鳴った。「エンドーさん、コパイからです」機内電話を持ったまま、彼女が呼んだ。しだコパイロットの士山目だった。「志田だが、脚が出ない。胴着の可能性があるから、その準備をしておいてください。これから館山上空を旋回して燃料を捨てます。三分はかかるでしょう」冶由同...ならない。はんすうしかし今は、その理由を聞いているひまはなかった。おそらく操縦室では機長と副操縦士がなくわしい理由も分からないまま、私はすぐに胴着に備えて、頭の中でマエュアルの緊急着陸の項目を反興してみた。とが隠すすわらせる。を確認後、自分もシュトを滑り降りる。衝撃に備えて全乗客に枕を抱かせ、その上からシトベルトを締めさせる。眼鏡、万年筆、その他、尖ったものは体から外させる。ハイヒールは脱がせる。非常扉の横には屈強な青年男子をスムース・ランディングなら、すぐに扉を聞け、脱出用シュトを投げ、まず木村良子を降ろし、脱出してくる客の補助に当たらせる。それから女・子どもを優先して脱出させ、全乗客脱出もし扉が聞かない場合には、翼の上にある非常口を聞け、同じ順序で脱出する。しかし着陸に失敗したら・・・・・・。機体に亀裂が走り破損したあげく、火災を起こすようなことにでもなれば、そんな事態に備えて現在余分な燃料を放出しているのだが、もしそんなことになれば、もうその時はとっさの判断で対応するしかないだろう。一応消火器の位置は確認してあるが、おそらくそんなものは、なんの役にも立たないに違いない。そこまで考えて、私は木村良子に緊急事態が発生したことを教えた。そして脱出の手順を手早く説明した。良子の表情が一瞬変わったが、すぐに不安を押し込めるように、「分かりました」と緊張した口調で言った。

ただのおじさんになっちゃう。だって、あの人たちって青春を全部飛行機に捧げてきてしまったでしょ。飛行機以外は知らないのよ。お酒落しゃれなんて論外。遊びも知らない」と、笑いながら説明してくれた。「ああ、なるほどね」「それに普段も視力が落ちないように、できるだけ目は休めなきゃならないし、お酒も搭乗一一一時間前からは飲めない。あれやこれやと制約があるのよ。そのうえ、彼らはすごいストレスがあ’,,るでしょ。エネルギーの消耗も激しいしね」彼女の言うとおりだった。そうじゅうかんぬがらひとたび操縦梓から解放されると、彼らは脱け殻人聞になりはて、一番楽な状態で体を休めることに専念するのである。そしてまた、必要なエネルギーを貯えるため、ひたすらゴロゴロして次の乗務に備える、というわけである。こうなると、女の子と遊ぶこともしなくなる。エネルギーを消耗するからだ。それ以上に、若い噴から飛行機しかなかった男のストレス解消の仕方は、いたって不器用だ。何をしていいか分からないのである。大正生まれで遊びに不器用なパイロットと若いスチュワーデスのロマンスなんて、こうなるととても成立しない。では、もっと下のコパイロットはどうかというと、若いけれどもこの連中も飛行機一筋できた男たちである。若い娘の扱いは苦手なようだつた。そういうことでは、パな普通、パイロットというのは、パーサーやスチュワドよりも男らしくてカッコいいし、給料も数倍いいからスチュワーデスにもモテると思うだろうけれど、そうでもないという理由が、こんなところにある。だから独身パイロットとスチュワーデスが仲よくなるには、よほどの時間と場所が必要だった。胴体着陸その唯一の接触場所に、その頃は、ポーラー・ステーションというのがあった。ポーラー・ステーションとは、コベンハゲンを基地として、ロンドン・アンカレッジ聞を往復するパターンで、乗員、乗務員はビット(・申込み〉制であった。一カ月ほどコペンハゲンに滞在して乗務するのだ。ここでもパーサーやスチュワドが有利なのはもちろんだが、これほど長い期間一緒にいるめぐと、さすがにパイロットにもチャンスが回ってくる。この間にロマンスが芽生え、デンマーク製の鍋釜を買い込んできて、帰ってからウエディングベルを鳴らすわけである。備,“ヮト’’』私より五期ほど後輩に、木村良子という、青山学院出のスチュワーデスがいた。彼女もポーラなてやまある冬の札幌便で彼女と一緒になったときのことだった。

さらに、この中からも落伍者が出てくる。事故を起こして死んでいく者だ。不可抗力によってにしろ、純粋に彼の過失にしろ、事故を起こし、死んでいったパイロットは最終的な勝負に敗れた男なのである。パイロットはどんな経過で採用されたにしろ、みんな同じ修羅場を潜り抜けなければならない。厳しさは今も昔も変わらないはずだ。パイロットの仙駒郡Oところが、圏内線乗務の聞はよかったのだが、国際線に乗るようになると、機長たちの別の面をも見る機会を得て、二十歳そこそこの私は、ちょっとガッカリするようになってしまった。それは、制服と私服のあまりに激しすぎる差である。さっそう宿泊先のホテルで私服になったとたん、あの楓爽としたところが消えてしまうのだ。引き締まゆるやぽった線はデレンと緩み、野暮ったい服で日本食屋に繰りこみ、一日じゅうホテルでゴロゴロしているか、仲間と麻雀をしている。ヨレヨレの、敷布団の模様みたいなアロハと膝の抜けたズボンに、ちびたゴムぞうり姿で、背レフト中を丸めながらワイキキの通りを歩いている中年男が、あの青い制服で左席(機長席〉にいたパイロットとは、想像もできないのだ。飛行機以外の話となるとさっぱりついていけず、若いピチピチしたスチュワーデスをまぶしそうに眺めるおじさんが、新米パイロトは口もきけない神様のような存在とは、とても思えな、。・どんな店にでも気軽に入っていく若いキャビンクルーをよそに、十年一日のごとく日本食屋にちょうちょう賦っししか行かない男が、海外の空港管制塔相手に丁々発止のやりとりをする国際人とは、とうてい見えない。ひなた制服の時はあんなに諜々しいのに、私服だとよく公園なんかで日向ぼっこしている定年間際のおじさんのように、気が抜けてしまっているのである。むとんちゃ〈とにかく機長たちは、もちろん例外もあるが、大方は着ているものに無頓着、遊びも下手、会話もぎこちないわけで、若い娘にとって、一緒にいて楽しい相手ではなかった。同じ人聞の中に、こうまで違う二つの雰囲気が同居しているというのは、ちょっとしたジキルとハイド現象ではないか。国内線時代は私服姿の機長を見る機会はなかったから気がつかなかったが、国際線に出て私はあぜん唖然としてしまった。「キャプテンたちって、ずいぶん野暮ったくなるんですね、地上に降りると」私は最初に国際線を飛んだ時、先輩に感想を一吉田った。すると彼女はそうよといった。

つまりアンテナを全方向へ向けていなければたちまち消滅してしまうものである、などと聞かされると、しばらくの問、その状態を頭に描き、次には、それを操る人間の技量と精神力に考えがおよび、ふえーっと声を上げてしまう。そういう場所から生きて帰ってきたとは:::。「戦場に比べたら、平和な空なんて楽なもんでしょう」私はゼロ戦パイロットだった一人に聞いてみた。「狙ってくるやつがいない空というのは、たしかに拍子抜けするぐらいだよ。だけど戦闘機と旅客機では心構えが違うから、楽とは言えんな」彼は、何も知らないヤツめ、というような顔をした。「どうしてですか?」「戦闘機では守るのは自分一人の命だ。だが旅客機は何十人の命。それが全部この手にかかってシャーはすごいよ」パイロyトという職業は、修羅場に強い男でないと勤まらないのだ、ということを薄々感じるようにはなった。修羅場に強いというのは、言い換えればエマジェンシ(緊急事態〉に強いということだ。隠んしよう土壇場に立たされた時、人間というのは思わず本性が出る。どうしていいか分からずに、ただオロオロウロウロしたりする。そんな時、冷静な判断力と決断力、そして実行力を発揮できる男がいたら、こんな心強いことはない。ゼロ一戦のパイロットたちは、いずれも生死の境目でそういう力を発揮して生き残った者ばかりなのだ。そんな男たちが操縦する飛行機なら大安心、と私はその時思った。だが、平和な空もまた別の意味で修羅場である、というなら、パイロトを志す男たちはかなり勇気ある男ということができる。修羅場というのは、恐れて近づかない、あるいは逃げる者には、まったく縁のない所である。そんな所へわざわざやってくるのだ。単に飛行機が好きというだけでは、到底勤まらない職場で-”’’あることは知っているはずである。それこそ俗な言い方だけれども、不屈の精神力と強靭な肉体を持っていなければ勝てないような場所へ、みずから進んでやってくるのだ。たいしたものである。操縦室という修羅場へやってこようとする男たちは、今は年に一万人もいるという。その中で合格するのは二人ほど。ところがこの二人がすぐに空を飛べるわけではない。さらに適am性があるかないか一定期間観察されてニ人くらいが残される。しかも、この中からまだ落とされる者があり、最終的に残るのは一人ほどなのだ。なんと一万人の中から一人。空を飛ぶまでに、すでにほとんどが戦いに敗れ去るのです。

それなりに厳しい雰囲気を身につけるようになってくるものである。最初は機長の魅力の陰で印象の薄かったコパイロットが、やがて迫力を身につけるのは時間の問題ではあったが、大正生まれの機長の持っていたあの大胆さは、残念ながら、昭和生まれのパイロットには欠けていたようだ。戦闘機育ちと旅客機育ちの違いだろうか。私が勤めていた問、大正生まれを上回る魅力を持った後輩を見つけることはできなかった。「エッジ」のある男「エッジ」という言葉を人聞に対して使うようになったのは、三十歳を超えてからだったと思年をとって、ものの味わいかたが分かるようになって使いだした言葉である。十九歳では使えない言葉だった。だから機長の魅力を表現するのに困ったのだ。衝撃を受けながら、それを何と言っていいか分からない。だが今なら、あれは「エッジ」というもののせいだったとはっきり言える。あたたもろ定義はしにくいのだが、ただ鋭いというだけでなく、温かみとか脆さを秘め、それでいて自分よねなが〈におには厳しく、妥協しないような人聞に使っている。将棋の米長邦雄にはエッジがある、というふうに。エッジは、もともと備わっているものではないから、というより人の歴史の中で育っていくものだから、今までなかった人に久し振りに会った時、見つけたりするとひじように嬉しくなる。必要ギリギリの力だけを残すには、得ては捨てということの繰り返しだから、どんなに血と汗と涙を流したかと、尊敬してしまうのだ。人間、得ることは簡単だが、捨てることはむずかしい。それを何度も繰り返すとなると、すごい気力がいる。捨てられない人はエッジとは無縁のままだ。そのエッジを持った男たちが、機長という人種だったというわけだ。彼らの持っていたエッジは、これは、いろいろな機長と話をする機会を得てから知ったのだけれど、どうやら戦争体験から生まれたものらしかった。しゅらぽつまり戦場という修羅場を経て、彼らはエッジというものを身につけたらしい。昭和三十年代、機長席にすわっていたのは、ほとんどが戦争を体験してきている男たちだった。真珠湾攻撃やミッドウェ海戦、南方戦線といった激戦地からの生き残りである。いずれも幾多の修羅場を潜ってきた飛行機野郎ばかりなのだ。彼らが淡々と語る体験談は壮絶戦場を知らない私には想像もつかないが、たとえば戦闘機というものは、地上からは対空砲火に狙われ、空中では前後左右上下を敵機に固まれている存在でした。